雨の三島を歩く
昨日の夜の天気予報では、曇りのはずでした。
僅かに細い雨が降っていましたが、やがて大粒の雨に変わりました。
三島駅北口近くのコンビニでビニール傘を購入し、雨の中を歩きます。
三島市民文化会館の前を通り、小浜のみちを行くと源兵衛川が流れてます。
清らかな水の源兵衛川の脇を下流に向かいます。
賑やかな通りに出ると三島広小路駅の前に来ました。
うなぎを焼く美味しそうな匂いがたち込めるうなぎ屋の横に流れる源兵衛川の
脇を更に下流に向かいます。
住宅が立ち並ぶ通りをしばらく行くと、清住緑地に到着しました。
横の丸池公園を通り、三島大社に向かいます。
三島大社の境内に入ると、周りの喧騒が嘘のように静かに落ち着いてます。
厳かな本殿に行き、お賽銭を入れ願い事をしました。
三島大社の境内を出て、水辺に文学碑が立ち並ぶ桜川の脇を歩いて行きます。
最初に建っていたのは井上靖の「少年」の文学碑でした。
山村から三島の町に出てきた少年達が、緊張して体をくっつけ合いながら
歩いているという内容です。
清らかな桜川には、若草色の水藻が川の流れにそよいでいます。
白滝公園の横を通り、三島駅に向かいます。
夏の伊東を行く
伊東駅の改札を出て、海に向かって歩きます。
太陽がぎらぎら輝いてますが、カラッとしていて過ごしやすい日です。
程無くオレンジビーチに着きましたが、海岸は海水浴客で賑わってます。
オレンジビーチを通り過ぎると、なぎさ公園に点在する彫刻が目に
入ってきます。彫刻には、人々の平和と幸せの願いが込められて
いるそうです。
なぎさ公園を後にして進んで行くと、観光会館別館の横にアダムス像が建っています。
ウィリアム・アダムス(三浦按針)は、江戸時代の初め徳川家康の命令で、
伊東の地で日本初の洋式帆船を2隻建造しています。
ヨットハーバーの横を通り過ぎたところに「伊東市津波避難救命艇」が有ります。
伊東港の横を進み信号を右に曲がると、昔からの家が建ち並ぶ通りに入りました。
生活の息吹を感じる通りです。
通りを歩いていると、津波の避難場所案内図が目に入って来ました。
あんじん通りに入りましたが、閉まっている店が多く、閑散としてます。
橋を渡り左に曲がると東海館が建っています。
昭和3年に温泉宿として開業した木造の建物で、平成9年に
温泉旅館としては廃業していますが、その後、伊東市に寄贈
され、平成13年に観光施設となりました。
いでゆ橋を渡り、向こう側に行きました。
川を挟んで東海館を眺めます。
昭和レトロの見事な和風建築です。
アーケード商店街のキネマ通りに来ると、人通りも多くなり
ますます人通りが多くなる湯の花通りを通って
伊東駅に着きました。
頼朝公の青春の地を歩く
人々が行き交い、車やバス、タクシーが集まる休日の三島駅南口は
大変賑わっています。
伊豆箱根鉄道の改札を入ると、車両にアニメのラブライフサンシャインが
ペイントされている電車が停まっています。
社内は空いていて、座席に座ると、握りの部分が赤や黄や緑といった
カラフルな色のつり革が目には入ってきました。
電車は走り始めてしばらくは店舗や住宅の間を走ってます。
三島駅を出て20分程で韮山駅に到着し、韮山高校を目指して歩きます。
4月の青空が広がり、強い風が吹いている中、平治の乱で敗れた源義朝の
嫡子である源頼朝が14歳から約17年間流されていた地が、
ここ蛭ヶ小島です。
今から約850年前、源頼朝と伊豆国豪族の北条時政の長女の北条政子
はこの地で恋に落ち夫婦となりました。
伊豆地方の秀才が集う韮山高校の校舎は、静かな住宅街と林に囲まれてます。
昔、北条早雲が拠点としていた城で、ここから伊豆諸国を治めていたそうです。
周りは樹木が生い茂っている木の階段を登って行くと、本丸にたどり着きました。
眼下の北側は市街が広がり、雲を被った富士山がくっきり見えます。
下に降りて城池の畔を歩いていると、強かった風も止み
のどかなお昼時にホトトギスの鳴き声が響いています。
池を一周し、帰路につく為、韮山駅に向かいました。
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